呪いをかけるのはオワコン

茂木健一郎氏がツイッターで、
「トランプやバノンは無茶苦茶だが、SNLを始めとするレイトショーでコメディアンたちが徹底抗戦し、視聴者数もうなぎのぼりの様子に胸が熱くなる。一方、日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。後者が支配する地上波テレビはオワコン。」
といって炎上したそうで。

アメリカのコメディを上げるために、日本のコメディを下げなきゃよいのにね。「そういう権力者に批評の目を向けた笑いが、自分は日本でも見たいのだ」と言えば角も立たないものを、オワコンという強い言葉で全否定したことが、炎上やお笑い芸人からの反発を招いたのだと思います。

話変わって、ドラマ「逃げ恥」見てました?
「そんな呪いからは、逃げてしまいなさい」というセリフの事を今でも思い出して考えています。
ああそうか、社会からの抑圧や保守的価値観や固定観念は「呪い」なんだと腑に落ちました。社会や周囲の人間からかけられる呪いでもあるし、そんな周りの価値観を内面化して、自分で自分にかける呪いでもある。呪縛という言葉もあるように、自分を縛っているものでもあると。

話変わって、「勉強できる子 卑屈化社会」(前川ヤスタカ)という本を読んだんですけどね。
勉強ができる子に冷たい日本社会や、逆学歴差別といったような現象にメスを入れて解き明かす本です。
例をあげると、
「勉強なんてできても社会では役に立たないぞ」と説教する親戚や、
「勉強できるのと、頭がいいのは違うぞ」などというセリフ、
あるいは、テレビドラマでの「不良は本当はいいやつで、ガリ勉は嫌みで人間味がない」というような描き方などのことです。

このような勉強できる子にかけられる言葉も、同じく「呪い」だと思ったんですね。そしてこの本は、呪いを解こうとするホワイト・マジックのような本であると思いました。
(今だと、ジェーン・スーさんの本も、呪いを解くホワイト・マジック本であるなあと思います)

村上春樹は、物語の実際的な効用について、「小説を読むことによって、他人の靴に自分の足を入れることができる」のだと表現しています。他人の視点や立場を疑似的に体験できるということですね。
それと同時に、優れた小説や映画や漫画は、自分にかかっている呪いを解くことができる可能性を持っているのだと思います。

ということを考えていると、自分で自分にかけている呪いからはできるだけ解放されて自由になりたいと思いますし、自分が何かを持っていないからといって、卑屈な気持ちになる必要も全然ないんだと思います。
そして逆に、自分の発した言葉が誰かへの呪いになっていないかということも気になりはじめました。

だから最近は、映画とか本などの面白くなかったものについては、わざわざそれを表明することなく沈黙していようとしています(昔は気軽にぺろっと言ってたと思うのですが)。それを面白かったと感じた人に、わざわざ水をさすこともないだろうと。その批評の言葉に見るべき価値が何かあるのであれば別ですが。

とはいえ、「同じようなものを嫌いな人」には共感してしまうのも一方の事実なんですよね。アイスバケツチャレンジに違和感を表明した人とは、わかりあえる気がしたものです。

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