ニューエイジ思想とニセ科学

放射線に関する科学的知識を情報収集していると、真偽不明のアヤシイ話にもたどりつきます。
例えば、欧州放射線リスク委員会(ECRR)という団体が、「内部被爆の影響は外部被爆の600倍」という報告を出しているというもの。これは科学的根拠に欠けているという批判が多く、国際機関からは相手にされていません。
そもそもこの団体は、国連や各国政府とは関係をもたないNPOで、反原発の主張を持つ科学者や専門家が多く参加しています。そして、中心人物のバズビー氏は、内部被爆の脅威を語りながら、一方で、放射線被曝に効くという高額なサプリメントの販売に関与していると報じられています。(出典:放射線医が語る被ばくと発がんの真実/中川恵一 p.128)
ことほどさように、デマ情報や虚偽の報道があふれている状況は、昔からある「ニセ科学問題」と根っこは一緒だなと感じていて、今、ニセ科学に興味を持って、いくつか本を読んでいます。
ニセ科学の具体例をあげると、
・マイナスイオン
・EM菌
・ゲーム脳
・水からの伝言
・ホメオパシー
・永久機関(フリーエネルギー)
などですね。ゲルマニウムとか、スポーツ選手がよくしているネックレスなんかもニセ科学商品に入ると思います。
ニセ科学の定義は、「科学であるかのように装っているが、実は科学とはよべないもの」です。じゃあ、「占い」はどうかといえば、そもそもみんな、占いが科学であるという風には信じていないと思います。たかが占い、と距離を置いていますし、占いの結果が外れたとしても、怒ったり返金を要求しないですよね。重要な問題は、「科学的根拠があるかのように装っている」ということです。
このエントリーの最後に、ニセ科学問題に詳しい菊池誠さんと、宮崎哲弥さんの番組を貼っておきます(約50分)。どのような種類のニセ科学があり、なぜ問題なのか、なぜ人はニセ科学を信じるのか、ということを解説しています。
印象的だったフレーズは、ニセ科学を信じてしまう人は、「信じたいこと」と「信じてよいこと」の区別がつかない、という部分ですね。つまり、希望と事実の切り分け、個人的体験と客観との切り分けが出来ないということです。
また常々、いわゆる神秘主義的というかオカルト傾向というか、そういった方向性を指し示す適切な言葉を探していたんですが、この番組で「ニューエイジ思想」とか「ニューサイエンス」というジャンルがあることを知りました。
「ニューエイジ思想」の定義はむずかしく、個別の例をあげるしかないのですが、要は、
・チャネリング、瞑想
・ヨガや呼吸法
・パワーストーン、ホメオパシー
・気功、波動
みたいなことですね。超自然的・スピリチャル要素の強いものです。「引き寄せの法則」とかも、ニューエイジ的といっていいかもしれません。また、そもそもは、60年代のアメリカ西海岸で生まれたカウンター・カルチャーの運動が起源となっているため、旧来の社会道徳・政治体制の否定や、極端な自由主義思想、という傾向もあるということです。
大前提として、人がどのような思想を持とうが自由ですし、他人の思想や価値観を尊重はします。が、科学でないものを、さも科学であるかのように装って喧伝するニセ科学と結びつくのは問題があると思います。
あるいは、ニューエイジ思想の特徴には、「論理的思考に対する直観的理解の優位」というものがあるそうなんですが、この場合の「直感」って経験則ではなく、単に自分の信じたいことを信じているだけじゃないか? といういささかの疑問はあります。
この番組でも菊池さんは、ミュージシャンがニューエイジ的なものと結びつくのは、まあ仕方がないなあと思って見ているけど、自分自身は、ニューサイエンス的なものは底が浅くて好きではないという風に言われています。ただ、SF小説を読むような感じで、一種の娯楽として受けとめたりはしていると。
僕もわりに同意見です。アーティストとかミュージシャン、広い意味でのクリエイターと呼ばれる人達は、こういったものに結びつきやすいのかなとも思いつつ、社会全体とその運営に、ニセ科学や客観的・論理的でない考え方が広まっていくのは、良き方向とは思えない。
村上春樹がよく、人にとってなぜ「物語」が必要なのかということを繰り返し語っています。ひとつには、オウム真理教の麻原の提示したような安易でお手軽、単純明快な「救済」へのカウンターとして必要なんだということです。



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