<気づきを得た>になぜ違和感を感じるのか

(※以下、ココイチで例えると3辛くらいの刺激を含んでいます)
言葉のニュアンスに対する受け止め方は、本当に人によって違っていて。
なかでも、ある種のフレーズなどは、それを善き言葉として使う人と、その言葉に違和感を感じる人とに極端に分かれるように思います。
「感動をありがとう」
「出会いに感謝」
などがそうですね。
でも、このフレーズが嫌いな人も、こういう心情を感じること自体を否定しているわけではなく、ただ、その表現が嫌いなだけです。
「とても感動しました」
「良い人に出会えてうれしかった」
と言い換えれば、「感動をありがとう否定派」も拒否反応を示すことはありません。
ちなみに、ある被災地の方は、復興支援に来た人が「逆に元気をもらった」というのに「?」が付くと言われていました。「絆」という言葉も、残念ながら複雑なニュアンスを持ってしまいましたね……。
そしてもうふたつ、
「気付きを得た」
「学びを得た」
というフレーズ。
これも賛否がきれいに分かれるキーワードですが、その違和感の正体を的確に言葉で説明するのは、僕には難しいのでググってみました。
http://eichi08.com/archives/50928233.html
この方は、文法からの読み解きをおこない、
「気づき(学び)」だと「○○に気づく」というような目的語の置き場がなくなるので、
<何に・何を>という「内容」ではなく、<気づくこと(学ぶこと)>という「行為」自体が中心になる。
そこに、内容はどうでもよくて「気づいた(学んだ)」行為それ自体で満足している薄っぺらさを感じさせると分析しています。
http://ameblo.jp/tkadomatsu/entry-11465082766.html
こちらの方は、同様にその目的語のなさを指摘しつつ、
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この時使われる「学び」は、「悟り」に近い。
やや乱暴な言い方になるが、それが一般的にはたいした学びではなくても、「私は精神的にランクが上がった」と宣言されてるような響きがある。
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本来は、反省を含むのが「気付く」という言葉、あるいは無知への恥じらいを含むのが「学ぶ」という言葉なのだが、それが「学び」「気づき」という内容無問題の造語には、これらを一切感じさせることなく、
「学びや気づきを得た自分は素晴らしい」
と、100%ポジティブな自分賛歌に酔える魔法の言葉、それが「学び」と「気づき」なのだ。
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というように批判しています。なかなか辛辣ですね。

1件のコメント

  1. 「気づきを得た」よりも「違和感を感じる」の方がよっぽどおかしい。
    違和感は感じるものではなく覚えるもの。

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