「アクト・オブ・キリング」を見た



アドルフ・アイヒマンとは、ナチスドイツのホロコーストで中心的役割を担った人物である。アイヒマンは戦後に逮捕され裁判にかけられるのだが、この600万人のユダヤ人を殺戮した男は、いったいどんな邪悪な男だったのか?
……ただのおっさんだったのである。
小役人体質で、ユダヤ人迫害について「大変遺憾に思う」と述べたものの、自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張する。家族を殺されたと訴えるユダヤ人を前に、アイヒマンはひたすらこう繰り返す。「私は命令に従っただけ」「直接手を下してはいない」
『気がちいさく、日和見主義で、都合のわるいことはすべて他人になすりつける。すぐにばれるうそばかりつき、どこかで聞いたような決まり文句ばかりを連呼し、頭のてっぺんからつま先まで役人体質につかった、まことに情けない、ただのおっさんであった。』(※1)
なおかつ、逮捕された獄中のアイヒマンを知る人物は「普通の、どこにもいるような人物」だと彼を評した。
ドイツの哲学者であるハンナ・アーレントは、このアイヒマンの裁判記録「イエルサレムのアイヒマン」という著作の中で、「凡庸な悪」の存在を発見し名付ける。ホロコーストは邪悪なモンスターによってなされたものではなく、平凡な普通の人間によってなされたものなのだ。
それは、すごく「すわりの悪い」結論である。その事態をどう考えてよいのか分からない。戦隊モノのTVドラマのように、特別な悪の組織を我々が倒して勝利し、そうして世界に正義が訪れた、という構図であったならば、よほどすっきりしたことだろう。
そして、この「アクト・オブ・キリング」も、同じように「凡庸な悪」についてのドキュメンタリー映画であった。
インドネシアの大量虐殺事件の首謀者たちが、今でも政府の中枢にいたり、国民的英雄として楽しげに暮らしている。虐殺のことを得意げに語り、再現映像を演じてみないかという監督の求めにも応じる。
そのイントロダクションを読み、映画の予告編を見ると、我々には理解しがたい異質な光景が広がっているドキュメンタリー映像なのかと思ったし、また率直に言えば、センセーショナルなものが見られるかもという期待もあった。
ところが実際のところ、このドキュメンタリーはある意味では退屈で凡庸なのである。ここに出てくる登場人物やその発言と振る舞いを見ているうちに、「これ、日本の下品なおっさんと、たいしてそう変わらないじゃん」という感想を抱いた。
具体的に例示すると語弊もあるが、具体的に述べないと伝わりづらいので言います。
「いやあ、俺も昔はやんちゃしてて」といった言葉で、少し自慢げに過去の犯罪(窃盗・暴行・恐喝)を武勇伝として語るおっさん。何かの口論で相手をやり込めて、勝利したことを自慢げに語るおっさん。雑誌のインタビューで、過去のイジメ加害について告白しネット炎上した小山田圭吾。三国人でおなじみの、石原慎太郎の数々の問題発言。女性やマイノリティに対しての差別的な発言で笑い合うおっさんグループ。
といったような、傲慢でデリカシーに欠けて、偏見を隠そうともしないおっさん連中と、彼らは大差ないと僕は感じたのである。
もちろん、その中身については大きな差があることは承知している。何千人もの大量虐殺殺人と、学生の時のイジメ体験と、差別的発言を同列に語ることはできない。
映画の中で、民兵組織であるパンチャシラ青年団のリーダーが、女性への強姦を自慢げに語っている。女性に「お前にとっては悪夢かもしれないが、俺にとっては天国だ」と言ってやったと豪語し、「何といっても14歳が最高だ」とつぶやき、周りの人間もその意見に同意するかのようにうなずく。
実に醜悪な場面であるが、ふと、日本のおっさんの特定集団も、これと同じようなノリかもしれないなとも思った。付き合いはないのであくまで想像ではあるが、例えば、タイの少女売春などに、会社の仲間でツアーに行くような連中である。(重ねて言うが、強姦と売春を同列に扱っているわけではない)
主人公のアンワル・コンゴは、ニカウさんっぽい顔立ちで、決して怖い風貌の人物ではない。二人の孫を可愛がり、アヒルのヒナを乱暴に扱う孫を、優しく注意したりもする。「ほら、アヒルさんにごめんねって謝りなさい」。
虐殺の再現シーンで、エキストラのおばさんが、素人故に芝居に入り込みすぎたのか、カットの声がかかっても恐怖で泣きじゃくって、精神の変調をきたしていた。それを心配そうに見守るアンワル。そう、この映画を見る限り、アンワルは物静かな紳士にも見える。
彼はそもそもは、ギャングの一員で、映画館のダフ屋として生計をたてていた。彼自身映画ファンであって、「ゴッドファーザー」などのマフィア映画も大好きなのだそうだ。当時、インドネシアの共産主義者は、アメリカ映画のボイコット運動を行っていて、アンワルはそれを嫌悪していた。当然商売の障害になるし、一映画ファンとしても許せなかったであろう。そしてその思いが、それ以降の彼の共産主義者虐殺へとつながっていく一因となる。
おそらく彼はダフ屋商売のかたわら、公開される映画を足繁く見ていたのではないか。なんといってもチケットが手に入るわけだから。そして、彼の愛するアメリカ映画を否定する共産主義者という存在は、怒りの対象であり、うとましく思っていただろう。同じ映画ファンとして、その部分については、僕も想像が及ぶところではある。
そして一方、予告編で見られる、滝の前や鯉のオブジェの前で女性ダンサーたちと踊るシーン。これは、監督の意図ではなく、アンワルたちの方から映画にはこういった娯楽性のあるファンタジックなシーンが必要なものなんだ、という提案によって撮影されたものである。
アンワルの舎弟のヘルマンにいたっては、何故か女装をしてマツコ・デラックスそっくりの風貌になっている。このシュールさや稚拙さはいったい何なのだ?
非常に不可解なシーンではあるが、我々日本人はこの不可解さに過去に直面したことがある。
それは、オウム真理教の広報アニメーションや、国政選挙に出馬した時の仮面をかぶっての応援ソングなどである。それらの稚拙で滑稽な姿と地下鉄でのテロ事件を、どうやって結びつければよいのだろう? あるいは、オウム真理教の犯した罪の大きさと、それに比べての彼らの動機の幼稚さは、今でもとうてい腹に落ちるものではない。
「悪の正体」とはいったい何か? それは驚くほど凡庸かつ幼稚なものである。そして、悪とは悪人に宿るものでは決してない。いくつかの環境や条件が整えば、誰にでも発露するものである。
ミルグラム実験というものがある。詳しくは脚注に参照リンクをあげるが、要は、実験と称した場で、人間は、どれだけ大きな電流を、被験者に流すことができるのかという試みである。被験者が「痛い!やめてくれ!」という声をあげ泣き叫んでも、背後にいる「博士」にうながされると、電流の強さを「ほとんどの人は」どんどん上げてしまう。(実は電流は流れておらず、痛がる演技なのであるが)
後で、「なんでそんな非道いことをしたんだ?」と尋ねても、「いや、実験をやらせた人が悪いでしょう。責任があるのは実験を命じた人だ」と開きなおる。ことほどさように、権威や自分の責任を担保できるようなところが出来ると、ごく普通の人であっても、いくらでも残虐になりうるというひとつの証明である。
例えば、普段は穏やかで理性的な友人なのに、お店の人にしつこくクレームを入れているところを見たり、交通事故の被害者になって、いくら賠償金をふんだくってやろうかと息巻いている姿を見ると、少し幻滅してしまう。
いや、人間なのだから、怒りをあらわにする状況は時にはあるだろうと思うのだが、立場を笠に着る姿、「自分には怒りをぶつけてよい正しい理由と権利があるのだ」という態度の方にうんざりするのである。
映画パンフレットの中で犯罪心理学者の越智啓太は、虐殺の心理的メカニズムとして、「カテゴライゼーションとレッテル貼り」、次に「理由の合理化」をあげている。
このインドネシアでは、共産勢力の台頭を快く思っていなかった軍が、表だって動くことはできないため、密かにイスラム勢力やならず者を扇動し武器を渡して殺害させた。曰く「共産主義者は神を信じない輩であるから、彼らの粛正はイスラムの聖戦である」などと。
今の日本にも、カテゴライゼーションとレッテル貼り、理由の合理化による非難の応酬は、世の中にありふれている。
人間は「正しさ」を手に入れた瞬間、同時に、その足元には暴力と悪がひたひたと迫っているのである。
【付記・参考】
※1:空中キャンプより引用
アクト・オブ・キリング公式サイト
http://www.aok-movie.com/
空中キャンプ/「イェルサレムのアイヒマン」を読む/第二回
http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20060511
空中キャンプ/[映画]『アクト・オブ・キリング』評
http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20140414
宇多丸推薦 ナチス ホロコースト責任者アイヒマン関連映画・書籍
http://miyearnzzlabo.com/archives/15415
身近な一歩が社会を変える♪/
映画『アクト・オブ・キリング』にドキュメンタリーの神髄を見る
http://newmoon555.jugem.jp/?eid=423
町山智浩が映画『アクト・オブ・キリング』を語る(Youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=-JKiBFbVo8Q
宇多丸が映画『アクト・オブ・キリング』を語る (Youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=NH5jUtobkHw
wikipedia ミルグラム実験
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%AE%9F%E9%A8%93

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