ニセ科学や陰謀論が政治に入っていくこと

昔の自分は「現在の科学や医療では、説明できないものごとがある」的なフレーズを、何となく鵜呑みにしていた人間のように思うのですが、ニセ科学・医療や陰謀論のことを理解し、そして嫌うようになったひとつの明確なはじまりがあります。

知人の話ですが、2011年当時、東北からの旅行土産を社内の同僚に渡したときに、「それ除染してんの?(笑)」という軽口をたたかれて、何だかなあと感じたという話を聞いたのです(2012年に訪れた気仙沼の居酒屋での話です)。

その話のことをしばらく考えていたのですが、それはその人にモラルが足りないというだけのことではなくて、「そのことに関する知識やリテラシーが足りない」ということではないかと思い至りました。

そして自分自身も、よく知らない世界のことについては、間違った認識や乱暴な理解をしてしまうだろうと。

あるいはまた、少額の寄付くらいしか自分にはできることはないけど、被災地の問題を知ろうとすることも、できることのひとつなのかなという思いと、少しの 知的好奇心もあって、放射能防護・ニセ科学・食品安全に関する問題について理解を深めていきました。当時は岡山でも、震災がれきの受け入れの是非が市民的 議論にもなっていました。

今では、それらの問題についてのリテラシーが身につき、信じてよい情報と信じてはいけない情報の区別がつくようになったことは、自分にとっての大きな成果です。(そうでなかったら、今頃、水素水を毎日飲むような生活をしていたかもしれません)

ちょっと今、水素水を信じている人を揶揄してしまいましたが、個人的に信じている分には害はないとは思います。スポーツマンが効果の証明されていないネックレスをしたり、テープを貼ったりしているのも、まあいいでしょう。

だけど(これも知人の話ですが)、重い病気にかかったという人に、この食べ物がいいんだと怪しげなものをすすめたり買わせたり、あなたのそういう物事の考え方が病気を招いたのだと批判する言動は、違うと思います。

そしてこれが本題なのですが、そういったニセ科学や陰謀論が、政治や社会システムの中に入っていくのは、強く回避しなければいけないと思います。なぜな ら、それらは合理的な根拠もなく、科学的に証明された効果もなく、嘘や想像に基づいたストーリーに過ぎないからです。個人的に酵素玄米を好んで食べるのは OKでも、行政や学校のイベントでEM菌を川に流すのはアウトです。

それらのニセ科学やトンデモ医療、陰謀論やオカルトを、少なからず今でも信じている人がいるのはなぜか? それらが、人の理想的な願望を体現した、ひとつの魅力的な言葉巧みなファンタジーだからだと思います。そうであってほしいと願う人々によって、そのように 生み出されたもの。

理想や理念は大事だと思うのですが、現実の様々な複雑な問題に対して(ある種分かりやすくて魅力的な)ファンタジーでしか対処できない事態は、暗黒時代のはじまりのように感じるのです。

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